私は、大学生の頃からタバコを吸い始めて、40歳の頃やめれた。
それから十数年、吸いたいと思ったことはない。逆に毛嫌いしている。
最初興味を持って吸い始めたのは、世界認識の一環だ(笑)
それなら麻薬にも手を出せと言われそうだが、そこは社会的範囲内で行動を留めた。
止めたいと思ったのは、吸いたくて吸うというより慢性的に吸っていて、
一息ついたという感覚もあるが、けだるい感覚も強く、差し引きあまり得ではないこと。
お金がかかること、臭いこと。
周りに迷惑をかけている意識はあったが、社会的に許されている行為ってことで納得させていた。
止めれるものなら止めたいと常々思っていたところで、
友人から「禁煙セラピー」って本を読んで止めれたと聞いた。
知られた本で、古本屋で100円で買ってきた。
著者は60歳を超えてヘビースモーカーだったけれど止めたということで、その体験から書いているとあった。
そして、本を読み終わるまで吸っていていいとも書いてある。
ホンマかいなと思いつつ、催眠術にかかっても止めれるなら良いと思って読んだ。
そして、本を閉じて、最後の一本を吸って、それが最後となった。
今思えばそれは認知療法の一つだったのだろうと思う。
「タバコは吸いたくて吸っているのではなく、ニコチンによる中毒によるものである」
この事実を繰り返し繰り返しいろんな視点から説いていたんだと思う。
自分がなぜ一人で止めれなかったかの一番大きい要因は、
吸いたい自分と、吸いたくない自分という悪魔と天使の対立を同一の自分に課していたことだ。
自分vs自分。
それでは勝負はつかない。
自分vsニコチンであれば、あっさり勝敗はつくのである。
自分vs他者の勝負としたので、あっさり止めれたのだ。
今となっては、他人のタバコの臭いをかがされるのはうんざりだ。
臭いのもそうだけど、止めれるものを止めずに人に迷惑をかけているその行為に腹が立ってしまうのだ。
タバコにいくら高い税金をかけても、喫煙者はいなくならないだろう。
禁煙医療をいくら受けても、止めれない人はいるだろう。
吸いたいから吸うんだ、それのナニが悪いと思ってるんだから。
でも、それは間違いでニコチンが吸わせているのだという事を納得させれば世の中からタバコをなくすことは可能である。
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