2017年12月1日金曜日

2017-12-01:AIに将来はあるのか?

数年前からAI,AIと騒がれて、人工知能なんか何十年も前からの技術じゃねかと思っていた^_^;
しかし、技術的なところを検索すると、Deep Learningなるキーワードが出てきた。

知ってる方は知ってるのでここで詳しく説明するつもりはないですが、
昔からあるニューラルネットワークという脳細胞を模擬した機械学習の一手法で、
最近の半導体による処理速度と大規模データ処理により実現された技術で、
囲碁の世界チャンピオンに完勝したり、音声認識を格段に向上させたりして、
更には自動運転やロボット等あらゆる認識技術に採用されようとしている。

近い将来の産業発展に欠かせない技術なのは間違いないだろう。
しかし、私も若い頃ニューラルネットワークは触ったことがあるんだけれど、
あれに頼ったら最後、その先に技術的な進展はないという印象だった。

認識率を上げるために、ニューラルネットワークをどう発展させれば良いのか手がかりがないのだ。
おまかせしてしまって、ブラックボックスの中を工夫できなかった。

今回のDeep Learningという機械学習の手法は発見的で、発明的ではないのではないか?
つまり改善してゆく手がかりがないんじゃないのかって心配がある。
ここが解ったから、次はここを攻めようっていう研究の進歩があるのか心配。

ここ10年ぐらいはもてはやされるだろうけれど、その先あるのかな?
まあ、それでも10年ぐらいはもてはやされるんだろうけれど(*^_^*)


2017-12-01:禁煙は誰にでも可能です

私は、大学生の頃からタバコを吸い始めて、40歳の頃やめれた。
それから十数年、吸いたいと思ったことはない。逆に毛嫌いしている。

最初興味を持って吸い始めたのは、世界認識の一環だ(笑)
それなら麻薬にも手を出せと言われそうだが、そこは社会的範囲内で行動を留めた。

止めたいと思ったのは、吸いたくて吸うというより慢性的に吸っていて、
一息ついたという感覚もあるが、けだるい感覚も強く、差し引きあまり得ではないこと。
お金がかかること、臭いこと。
周りに迷惑をかけている意識はあったが、社会的に許されている行為ってことで納得させていた。

止めれるものなら止めたいと常々思っていたところで、
友人から「禁煙セラピー」って本を読んで止めれたと聞いた。
知られた本で、古本屋で100円で買ってきた。
著者は60歳を超えてヘビースモーカーだったけれど止めたということで、その体験から書いているとあった。
そして、本を読み終わるまで吸っていていいとも書いてある。

ホンマかいなと思いつつ、催眠術にかかっても止めれるなら良いと思って読んだ。
そして、本を閉じて、最後の一本を吸って、それが最後となった。


今思えばそれは認知療法の一つだったのだろうと思う。
「タバコは吸いたくて吸っているのではなく、ニコチンによる中毒によるものである」
この事実を繰り返し繰り返しいろんな視点から説いていたんだと思う。


自分がなぜ一人で止めれなかったかの一番大きい要因は、
吸いたい自分と、吸いたくない自分という悪魔と天使の対立を同一の自分に課していたことだ。
自分vs自分。
それでは勝負はつかない。
自分vsニコチンであれば、あっさり勝敗はつくのである。
自分vs他者の勝負としたので、あっさり止めれたのだ。


今となっては、他人のタバコの臭いをかがされるのはうんざりだ。
臭いのもそうだけど、止めれるものを止めずに人に迷惑をかけているその行為に腹が立ってしまうのだ。


タバコにいくら高い税金をかけても、喫煙者はいなくならないだろう。
禁煙医療をいくら受けても、止めれない人はいるだろう。
吸いたいから吸うんだ、それのナニが悪いと思ってるんだから。
でも、それは間違いでニコチンが吸わせているのだという事を納得させれば世の中からタバコをなくすことは可能である。




2017年6月25日日曜日

2017-06-25癌の報道は真実を伝えているのか?

数日前に、癌で闘病されていた小林麻央さんが亡くなったそうだ。
お悔やみ申し上げます。

今回のことを機会に少し思うことを書いてみようと思う。

普通に生きていて、癌で余命後○○ですって事になった時、
死を身近に意識や体験してない人は、生活することの意味をあらためて考えさせられるだろう。
私も10年ほど前に父を膵臓がんで亡くした。
その時の衝撃ははかりしれない。体の半分が切り取られたようだった。

病院で闘病生活を続けて、家に帰ったという報道が少し前にあったけれど、
それは最期が間近だってことでしょう。誰だって分かっている。

しかし報道はその事実を伝えない。

確かにそんなこと報道したらバッシングにあうのは間違いないだろう。
そういうご時世を考えてのことなんだろうけれど、

亡くなったら、海老蔵さんのインタビュー。
無念さ満載って、そういう報道にウザさを感じる。

この感覚のベースには、世間の医療機関への過度な信頼と、
医療機関のシステム化した業態への疑問がある。

毎年一回は健康診断を受けなさい、受けて悪いとこがあったら病院へ行きなさい。
病院へ行ったら、この検査受けてこのお薬飲んで、どうしようもなくなったら家に帰される。
どうしようもなくなるまで治療して。。。

医者に診てもらえば病気が良くなると思ってる人がほとんどだけど、
病気を治せますって自信ある医者がいるなら出てこいって話だ。いるなら逆に疑うけれど。

人は永久に生きていられなくて寿命がある。
悲しいだろうけれど、それがほんとうのこと。




2017年1月24日火曜日

2017-01-24中国政府に関する日本の報道の印象

「政府」と言っても、民主主義国家の国民から選ばれた政府と、
国民から選ばれているわけでない「中国共産党」の政府とでは、発言の重みが全く異なる。

民主主義国家の政府の発言は、その国の国民の総意を代表している。
一方、中国政府の発言は、中国国民の総意を代表しておらず、単に一政党である中国共産党の発言である。

日本国内での例えて言えば、「○○党が何か主張している」というのと同じだ。

日本の報道は、そこを誤解させているように思う。
自分も誤解した印象をずっともってきた。

今回の、アパホテルの客室設置の書籍について、中国政府が苦情を公表するという件、
他国の一民間企業と、一国の政府が対立している形でお門違いな訳だけど、
中国国民を代表している訳ではない一政党である中国共産党の発言ということが分かっていれば、犬の遠吠えと同じで状況は理解できる。

ただ、相手が権力を持ってるから一大事だというのなら、ヤクザと同じ威嚇だよね。

結局、中国はヤクザ国家で、それに日本の報道が怯えてるってことなんだけど、

そろそろ時代は前に進みますよ (^o^*)/